2018年5月16日水曜日

【学問のミカタ】ろう文化を守ることとインクルージョン:障害者と差別について考える

2018「社会・法学入門概要」
できあがりました。お楽しみに。

 みなさんこんにちは。

 5月も半ばになり、大学もだいぶ落ち着いてきました。
 しかし[今週は寒い!][今週は暑い!!]とジェットコースターのようなお天気が続いていますね。体調を崩さないようにしてください。

 現法さんはやっと仕事が一段落しましたので、皆さんに提出してもらった[振り返りシート]を読んでいます。
振り返りシートは提出しましたか?未提出の皆さん、
ポストは出していませんが今も受け付けていますよ。

 [振り返りシート]には「こう書かなきゃいけない」というルールは定めていないので、提出されたシートは学生によってさまざまです。個性が出ていて、読みながら「こんな学生さんなのかな」と想像します。急いで書いた殴り書きの人もいますし、下書きをして清書する人もいます。どんな方法でも皆さんしっかり振り返っているなぁと思います。また、学生の皆さんの抱える問題や、学生支援に繋がるヒントもあり、皆さんが頑張って振り返っているのだから、読んで学生支援に繋がるよう勉強したいと思います。

少しご紹介します。

~1年2期の「振り返りシート」からランダムにピックアップ

“1年間の大学生活を終えて感じたことは時間が過ぎていくのが早いということである。入学したと思ったらもうすぐ2年生になってしまう。勉強量も高3の夏以降と比べたら少ない。そのため2年生になったら通学時間や隙間時間をうまく利用して勉強時間を増やしたいと考えている。春休みに3年から入るゼミを考えていた時、入りたいと思っていた先生が定年を迎えたことを知りとても悲しい。2年でさまざまな法律科目を学び興味のあるゼミが出てくることを願いたい。”
”将来についてまだ見えていない。夢を探しています。”
”1年間を終えて全体的には満足できるものであった。学業だけではなくサークル活動も楽しむことが出来たが他の活動をする余裕はなかった。2年次には将来について考え直し、今何をすべきなのかをもう一度考えたい。”
”1年間、右も左も分からず生活していくうちに、考え方が少し大人になったかなと思う。 以前は少しぶつけられたくらいでイライラしていたが、「そういう時もあるよな」と考えられるようになった。もう一つは、一年間一人暮らしをしてみて、生活の知恵のようなものが少しずつだが分かってきた。今までは親に頼りっぱなしで正直だらしのない生活をしてきたので、多少無理をしてでも東京に出てきて良かったと思う。2年次には自分も成人になるので、行動、発言には責任を持ちたい。簡単な目標として、フル単を目指して頑張っていきたい。”

 この「振り返りシート」には、「興味を持った科目」を3つまで記入する欄が設けられています。ここに一番挙がる科目は、「社会・法学入門」ではないかと思います。

 この科目はすごい科目です。現場に足を運び(見学)、社会問題・法律問題を実際に見聞する、当事者の方から話を聞くなどをして、自分で問題を発見し、実感し、解決策を考えていく。それが授業の目的です。ですから学生の皆さんも「よし、これから法や政策を学んでいこう」と強く思う科目なのだと思います。先生方も毎年この時期になると「今年はどうしようかな」とかなり考え、気合いが入っています。

 今年は19ゼミのうち見学があるのは15ゼミ、未定(学生の総意によるのかな)は2ゼミ、見学には行かず判例や事件事例を通して討論するゼミが2ゼミとなっています。

 1年生の皆さんには6月1日のリーガルリテラシー入門で「社会・法学入門概要」を配付しますのでお楽しみに。

----------------------------------

 さて、ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、今日は【学問のミカタ】。今回は中川 純先生が寄稿してくださいました。

 中川先生の「社会・法学入門」は、行政機関・委託機関・社会福祉法人・NPOなどの見学を考えているそうですよ。福祉法プログラムに興味のある人は是非チャレンジしてください!

 ではどうぞ~。

---------------------------------


「ろう文化を守ることとインクルージョン:障害者と差別について考える」
中川 純


 アメリカ合衆国の首都、ワシントンDCの中心部にギャローデット大学(Gallaudet University)という学校があります。ここは、「世界で一番静かな大学」といわれています。この大学は、ろう者や聴覚障害者など耳が聞こえない人たち(以下、ろう者)のための高等教育機関で、大学構内では、アメリカ手話だけがコミュニケーションの手段とされており、言語によるコミュニケーションがほとんどおこなわれていないからです。耳が聞こえる学生、教員、外国からの留学生はアメリカ手話を学ぶことが義務づけられています(現在も耳が聞こえる学生は、大学院とわずかな人数が学部で受け入れられているだけとなっています)。

大学キャンパスの外壁にある大学のサイン

 ギャローデット大学は、「ろう文化」の拠点となっています。同大学で言語学を研究としていたウィリアム・ストーキー教授(Professor William C. Stokoe, Jr.)は、手話が独立した構文と文法を持つ言語であることをあきらかにしました。手話が言語であり、他の言語に劣るものではないことは、ろう者に、聴覚でなく視覚、触覚を基礎とし、手話を重視する「ろう文化」を強く意識づけることになりました。この「ろう文化」をめぐって、2つの大きな出来事がありました。

1877年に完成したギャローデット大学のカレッジホール
(歴史的建造物)


 1つ目は、「ろう者の学長を、今!(Deaf President Now, DPN)」という学生運動です。ギャローデット大学は、1864年に創設されましたが、1980年代になるまで耳が聞こえる人が学長をつとめてきました。1988年に再度耳が聞こえる人が7代目の学長に就任したとき、学生がこれに反対しました。理由は、新学長が、ろう教育の経験が浅く、手話ができなかったこと、自分たちの学長がろう者のコミュニティのメンバーであるべきと考えたこと、からでした。この運動は、新聞・テレビなどで大きく取り上げられ、7代目学長は実質的に6日しかその座にいることができず、結果としてろう者が8代目学長(President Jordan)に就任しました。自分たちのリーダーを自分たちの手で勝ち取ったことはサクセスストーリーとして、この出来事を題材としたドラマがテレビ放映されました。

1870年に建てられた
ギャローデット大学のチャペルホール
(歴史的建造物)

 「ろう者の学長を、今!」の学生運動は、社会(マジョリティ(社会的強者))に対しろう者(マイノリティ(社会的弱者))の存在だけでなく、「ろう文化」を知らしめました。「ろう文化」を権利として印象づけ、差別的効果を緩和させ、社会への参加を促進するために、学校や職場に手話通訳者の費用を求めるような政治的な運動につながっていきました。現在、この運動は、ろう者に対する自己決定権やエンパワメントを象徴する出来事と理解されています。これまで一般社会の中でろう者が受けてきた過酷な経験からすれば、自分たちのアイデンティティを確立し、社会に受け入れられるきっかけとなった「ろう文化」を発展させることは、ろう者のコミュニティにおいて非常に重要なものであると考えることができます。

美しく、広いキャンパス

 2つ目は、「ギャローデット大学を1つに!(Unity for Gallaudet)」と呼ばれる反対運動です。これは、2006年に8代目学長が辞職するときに後継者として指名された女性教員の学長就任に対して、その他の教員、学生らが起こした反対運動です。その理由は、あきらかではありません(学生に対する彼女の態度がよくなかったともいわれています)が、有力な理由として、彼女は、ろう者であったものの、普通学校で教育を受け、23歳まで手話を習っていなかったことがあるといわれています。100名を超える逮捕者がでるほど大きな反対運動となったこともあり、大学の理事会は彼女の学長就任の決定を覆しました。その後、暫定的な学長を経て、生まれつき耳の聞こえない人が学長となりました。

地下鉄の駅の名前がギャローデット大。
レッドラインでユニオンステーションから1駅。

「ギャローデット大学を1つに!」の反対運動は、自分たちのリーダーを自分たちの手で勝ち取った点について、「ろう者の学長を、今!」の学生運動と違いがないようにみえます。しかし、その理由が、もし「ろう文化」に固執することにあったとすると、事情が少し異なります。差別に関して矛盾した状況を招くことになるからです。ろう者が絶対的多数を占める、ギャローデット大学という特殊なコミュニティにおいて、自らの「ろう文化(生まれながらにしてろう者であること、小さい頃から手話を使っていることなど)」を尊重することが、普通教育を受けてきたろう者を受け入れないという結果を導いたことになります。一般社会ではマイノリティであるはずのろう者が、このコミュニティではマジョリティになるにもかかわらず、「ろう文化(一般社会ではマイノリティである立場)」にこだわることが、コミュニティ内部で自分とは異なる文化を排除することになったといえます。ろう者のコミュニティは、一般社会に対し差別をなくすために多様性を引き受けること、つまり社会への「インクルージョン(包摂されること)」をもとめてきました。しかし、マジョリティとなったろう者たちは、マイノリティに対し自分たちが要求してきたように接することができませんでした。

アメリカ連邦政府議会議事堂

 自分たちのアイデンティティとして、また差別を排除する原動力となった「ろう文化」が、特殊なコミュニティ内のマイノリティを排除することにつながったといえます。ろう者のコミュニティ内の民主主義やそれに伴う利益の反映を考えれば、「ろう文化」を尊重することは正しいといえるかもしれません。しかし、マジョリティにとって都合のいいやり方や基準を押し付け、マイノリティの機会を失わせることは典型的な差別として認識されています。社会的特性を有する人々の間での権利・利益の衝突の問題は、ダイバーシティ(多様性の尊重)を求められる社会ではよくみられますし、今後ますます解決の必要性が増していくと考えられます。日本でも将来大きな問題になるかもしれません。困難な問題ですが、どうするのが正しかったのか、自由に考えてみてはいかがでしょうか?

-----------------------------------------
中川先生ありがとうございました。

うーん、なんと感想を述べてよいのか、どうするのが正しいと思うかは気軽には書けないですね。
みなさんは、これから専門家の中川先生のところで自由に考え、意見を述べ、勉強し、自分の答えを見つけてください。

ではまた次回!