2016年7月26日火曜日

学問のミカタ 「東京物語と夏、老いた親の居場所」パート2

みなさん、こんにちは!

定期試験に入りましたね! 七月も残すところあと少しです。


前回の西下先生の『東京物語と夏、老いた親の居場所』のつづきを


更新いたします!


どうぞ~!


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『リブロ・シネマテーク小津安二郎 東京物語』
1984年 リブロポート出版 より



 やがて、脳溢血で倒れたとみが危篤となり、東京の子供たちに電報が届きます。
 
 
 
 家族に看取られながら自宅でとみは鬼籍に入ります。通夜と告別式が終わると、長女は着物の形見を要求しそそくさと帰郷してしまいす。長男も同様です。最後まで残ったのは、二男の妻である紀子(原節子)。
 
 
 
 同居の末娘の京子(香川京子)が、兄や姉の非情な振る舞いに憤慨します。それを紀子は、なだめて、次のように言います。「大きくなると、誰だってみんな自分の生活がいちばん大事になってくるのよ」と。

 

 旧民法が制定されたのは1898年。
 
 家制度が法的に確立したと言ってよいでしょう。
 
 
 第2次世界大戦の戦後の1947年に、この民法が改正され新民法が施行されました。
 
 
 家制度は崩壊し、新しい家族と扶養の関係が示されました。
 
 
 それが生活保持義務と生活扶助義務です。
 
 
 前者は、配偶者および未婚の子供との間に生じる扶養義務関係で、たとえて言えば、1つのパンを分け合うような義務ということになります。
 
 
 後者は、親との関係で生じる扶養義務関係で、パンが余れば提供するような義務ということになります。
 
 
 新民法が新しい扶養のあり方を示したものの、人々の心の中には、旧民法の残滓が残ると言った極めてマージナルな社会状況に、東京物語がスポットを当てていると言うことができます。
 
 詳しくは、民法の授業で学んでいただきたく思います。

 

東京物語は、日本映画の最高傑作の1つですが、戦後すぐという事情もあり、ジェンダーの視点から見ると、残念ながら限界も存在します。
 
 
 ないものねだりの誹りを免れませんが、とみが夫に従う従順な妻として描かれ、自分の子供たちに遠慮しているように描かれています。
 
当時の妻・母親イメージとしては自然なイメージかも知れませんが、失われていく家族の絆を映画の主題にしているのですから、その絆の喪失の中で、母親・妻がどのような存在として位置づけられ、また変化していくのかについても描いてほしかったと思います。
 
 
 
 先に述べましたように、老いた親の「居場所のなさ」が主題としてクローズアップされていますが、さらに言えば、老いた妻の夫婦における居場所のなさ、老いた母の子どもとの関係における居場所のなさにもフォーカスがもう少し当てられてもよかったのではないかと感じます。

 

 東京物語のラストシーンも出色の出来栄えです。
 
 
 まだ若い紀子が周吉に、自分が老いていくことに不安を持っていると訴えていて、このシーンが映画評論家に評価されているようですが、私はそれだけが評価のポイントだとは思いません。
 
 
 もちろん、28歳の紀子が、老いを感得できるセンスを持っていることは素晴らしいことだと思いますが。
 
 この場面で最も大切なのは、紀子が周吉に、「夫を思い出さない日さえあるんです」「一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとっても寂しいんです。どこか心の隅で何かを持っているんです。ずるいんです。」と告白するシーンだと思うのです。
 
『リブロ・シネマテーク小津安二郎 東京物語』
1984年 リブロポート出版 より

 
 
 戦争で夫を亡くした女性の本当の意味での心の叫びを明らかにしています。戦争の悲惨さを紀子のセリフを通じて訴えていると思います。
 
 
 
 小津監督一流の世界観は、黄昏芸術と呼ばれていますが、紀子の最後のセリフに、監督一流の一瞬の過激さを感じました。

 

 映画の評価や解釈に正解などありません。
 
 
 高校生の皆さん、大学生の皆さん、日々お忙しいと思いますが、是非60年前にタイムスリップして、日本映画の名作『東京物語』をご覧ください。
 
 
 815日に合わせて見ていただければと思います。
 
 
 そして、皆さんの解釈が私と近いのかどうか、そもそも私の感じ方が解釈として成立しているのかいないのか、是非、ご意見をお寄せください。



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2016年7月22日金曜日

学問のミカタ 「東京物語と夏、老いた親の居場所」

みなさん、こんにちは☆


じめじめとしてすっきりしない梅雨の日が続きますね。
 

明日からは定期試験が始まりますが、それが終われば夏休みです!


今月の学問のミカタのテーマは「夏」です!


今回は西下 彰俊先生が、夏と小津安二郎の『東京物語』について、

ブログを書いてくれました。


それではどうぞ!!


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東京物語
(左が原節子、右が笠智衆)
松竹HPより

 
 
 
 
現代法学部の西下彰俊です。
 
 
私の専門は、スウェーデンや東アジアの介護政策研究です。
 
 
 
 
介護政策研究と全学共通のテーマ「夏」を結びつけてブログを書くことは難しかったので、今後の課題にします。




 さて、本学に着任した2004年から数年間、「家族と社会」という科目を担当していました。
 
 
 授業で、小津安二郎監督の『東京物語』を鑑賞しました。
 
 
 
 年によっては、新藤兼人監督の『午後の遺言状』を鑑賞したこともあります。
 
 
 
 ということで、このブログでは、東京物語を取り上げます。







 

 東京物語は、日本を代表する名作映画の1つで1953年に発表されました。
 
 
 
 
 この映画の中で、私にとって最も印象深いのは、「熱海の旅館に泊まることになった老親が宿泊客の騒音で眠れずに悶々とするシーンです。
 
 
 
 
 真夏に、平山周吉(笠智衆)と、とみ(東山千栄子)が、東京に住む子どもたちに会うため尾道から上京するのです。長男・幸一(山村聡)は町医者となり、長女・志げ(杉村春子)は美容院を経営しています。
 
 
 
 ところが、子ども達は、生活に窮するあまり、上京した両親の相手をする余裕がなく、半ば東京から追い出す形で熱海の旅館を勧めます。

 
 
 
 真夜中も、麻雀に興ずる団体客や艶歌師の流行歌の喧騒で、彼らの親は、眠れずに朝を迎えます。
 
 
 
 
 寝不足のまま、静寂な熱海の海を座って眺める老夫婦の斜め後ろ姿が、とても痛々しいです。細い防波堤を帰ろうとした時、後ろのとみが、ふらついてしゃがみ込みます。これが、死期が近いことを暗示しています。




 余談ですが、撮影当時、笠はまだ高齢者ではなく、49歳でした。しかし、海を見つめる後ろ姿は、まさに高齢者。演出にたいそう厳しい50歳の小津監督は、俳優からの演出の提案を受け入れることなど皆無なのですが、唯一の例外が、笠が提案したこの演出でした。
 
 
 
 背中に小さな薄い座布団を入れているのです。演出に厳しい監督の優しい人間性が漏れ出ている一コマです。

『リブロ・シネマテーク小津安二郎 東京物語』
1984年 リブロポート出版 より



 この映画のキーパーソンの一人が、8年前に戦死した次男・昌二の嫁を演じる紀子(原節子)です。原は、小津監督をたいそう尊敬していたようですが、このような監督の優しい一面を見抜いていたのかも知れません。




 紀子は、会社を休んで老夫婦を東京見物に案内します。ささやかな行楽を楽しんだ後、狭いアパートに二人を泊めます。その後、老夫婦は、結局熱海を1日早めに切り上げ、長女の家に戻ってきてしまいます。泊められない長女は、二人を追い出します。周吉は、昔の友達の家に、そしてとみは、紀子のアパートに再度泊めてもらうのです。


 

 東京物語の主題は、私が思うに、敗戦後の日本において、古い家族制度が崩壊し、社会全体が生活に困窮する中、核家族化が進行し、老親の居場所がなくなるような危うい家族関係に焦点を当てることでした。
 
 
 
老人問題のルーツをこの映画に見て取ることができます。




 あれから、60余年。


新しい家族制度のもと、核家族化はさらに進行しています。

社会全体の生活水準は確かに上がったのですが、


老親の居場所がなくなるような危うい家族関係は現在においても決して減っているわけではありません。


「もう一つの東京物語」という映画が誕生してもおかしくない社会状況にあると言えるでしょう。



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つづく