2014年5月23日金曜日

週末をつかって、ちょっと学習。
『集団的自衛権』について学ぼうその1 ~政治学 藤原先生に聞く~


「国際関係論a」 藤原 修先生
 
みなさんこんにちは。

今日は文章が長いので、前置きなしでいきます。

『「集団的自衛権」について先生に解説してもらいたい』

と言う意見を何人かからもらいました。さすが現法生。今回は政治学の藤原 修先生に、下の3つについて質問してみました。

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Q1:集団的自衛権の誕生の経緯と定義を教えてください。

Q2:これまでの集団的自衛権に基づく武力行使の実例を教えてください。   

Q3:日本が集団的自衛権を行使した場合、どんな結果が待ち受けるのでしょうか。
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 現法さんは、一足先に先生の解説を読みました。Q1、Q2は、ちょっと難しいので、挫折しそうな人は、Q3から読むといいと思います。

 Q1、Q2は、原本をリンクしておきますので、それを印刷する⇒マーカーを引いたり、自分でノートにまとめてみる。をすると、「なるほど~」と思うと思います。週末を使って是非読み説いてください!

藤原先生からの回答(pdfファイル)へ

現法さんもノートにまとめて考えてみました。
ではどうぞ↓↓↓



Q1:集団的自衛権の誕生の経緯と定義を教えてください。                
 
 集団的自衛権という言葉は、国連憲章第51条の自衛権規定の中にあります。国連憲章は、加盟国の安全を集団的に守ることを大原則としています。これを一般に集団安全保障といいます。これは、国際連盟・国際連合が発足する前にひろく行われていた伝統的な攻守同盟(軍事同盟=特定の仮想敵国を念頭に、攻撃や防御を2国以上で共同して行うもの)に対立する安全保障体制で、両者は「集団」という点では同じですが、軍事同盟がいくつかの特定の国家集団で行われるのに対して、国連などの集団安全保障は、国際社会全体による普遍的な安全保障体制である点が異なります。集団安全保障に対して、個別国家による防衛や軍事同盟による安全保障体制を、個別的安全保障といいます。集団的自衛権は、もともとは軍事同盟を基礎づけるもので、個別的安全保障体制の枠内にあるものです。国連憲章は、原則として、個別的安全保障に対して集団安全保障をより望ましいものとして採用しています。その背景には、各国の安全を個別的安全保障体制にゆだねた結果、第1次世界大戦および第2次世界大戦という2つの大戦争を起こしてしまったという反省があります。
 
 しかし、国連の集団安全保障は、国連安全保障理事会の決議がなければ機能しません。そして国連安保理の決議には5常任理事国(米英仏ロ中)の拒否権が認められていて、この5カ国の1カ国でも反対すれば不成立となります。第2次世界大戦後の米ソ冷戦の時代には、集団安全保障に関してこの両超大国の足並みがそろうことがなく、国連の集団安全保障は事実上空文化しました。冷戦後になって、湾岸戦争の時など、集団安全保障実現についての若干有望な兆候がみられるようになりましたが、重大な国際的安全保障問題につき、その後も5常任理事国の足並みがそろうことは難しく、国連の集団安全保障は、今日に至るまで、うまく機能していないのが実情です。
 
 こうした事態、少なくとも、加盟国への武力攻撃に対して直ちには国連による有効な集団的措置がとられない可能性を想定して設けられたのが、国連憲章第51条自衛権規定です。すなわち、本則であるはずの国連の集団安全保障措置がとられるまでの暫定的措置として、加盟国は個別的・集団的自衛権(=個別的安全保障)を行使することができるということを、この条項は規定しています。こうして、国連憲章上、本則であるはずの集団安全保障が機能しないことから、国連発足から今日に至るまで、国連憲章第51条で本来暫定的措置として認められているはずの個別的安全保障体制(各国別の防衛および集団防衛体制)が、世界的にむしろ「本則」となっているわけです。
 
Q2:これまでの集団的自衛権に基づく武力行使の実例を教えてください。           
 
 20世紀前半までの、軍事同盟がひろく行われ発動されたていた時代に比べ、第2次世界大戦後の世界においては、一見軍事同盟と同じように見える、集団的自衛権にもとづく集団的自衛の例は、実は、あまりありません。20世紀前半までの世界では、大国とは戦争を遂行する能力のある国であり、現実に大国間で戦争が行われており、これを想定して大国間に同盟関係が結ばれました。1902年に結ばれた日英同盟はその典型的なものです。これに対して、第2次世界大戦後は、米ソという超大国が世界でぬきんでた軍事力を持ち、それぞれが「ブロック」と呼ばれる陣営を組織化します。このブロックは軍事同盟の性格を持ちますが、アメリカと、アメリカ陣営のその他の国々とは大きな力の格差があり、かつそうした同盟の発動による戦争は、大規模な核戦争という破滅的な結果をもたらす危険性が高く、このブロック=同盟は、戦争を効果的に行う手段というよりも、むしろ戦争をしないための手段という性格を持つようになります。さらに、このブロックは、政治経済体制において基本的価値観を共有することを基盤にしており、かつての軍事同盟のように、その時々の国益の必要に応じて、組んだり解消したりする便宜的な同盟とは性格が異なります。すなわち、第2次世界大戦後の集団自衛体制は、仮想敵をもつ軍事同盟という点では、国連の想定する普遍的集団安全保障体制とは異なるものですが、単なる軍事同盟とも言い難く、永続性を持つ安全保障共同体としての性格を持っています。この点において、個別国家を集団で守るという国連の集団安全保障に近いものがあるのです。そこが、現代の集団防衛体制の理解と評価を難しくしています。国連による集団安全保障がもはや現実的な選択肢にならない中で、軍事同盟の形態をとる集団防衛体制が、集団安全保障に類似した機能を果たすようになってきているのです。
 
 主に米欧諸国を加盟国とする北大西洋条約機構(NATO)は、第2次世界大戦後の典型的な集団防衛体制で、もともとソ連を仮想敵としてつくられたものですが、ソ連が存在していた冷戦時代には一度も軍事行動を起こしたことはありません。逆にソ連が消滅した冷戦後になって、たとえば、2001年の米同時多発テロ事件に端を発したアメリカのアフガニスタンに対する「自衛戦争」(この戦争がはたして「自衛」と言えるかどうかについては異論がある)において、NATOは集団的自衛権を発動しています。しかし、これは、北大西洋諸国という本来NATOで想定された条約適用地域での軍事行動ではなく、むしろアメリカの主導するグローバルな対テロ戦争への参加という性格を強く帯びています。他方で、この頃からアメリカは、条約上の集団防衛体制よりも、「有志連合」とよばれる、問題事案ごとにアドホックに軍事的に協力し合う関係を重視するようになりました。こうして現代の集団防衛体制は、アメリカやその同盟国の利害を強く反映するという意味で、国際社会全体の総意を体しているとはいえませんが、なお、特定国・地域の利害をこえる国際秩序全体の維持という、普遍的集団安全保障に準じるような大義名分を掲げるようになってきています。
 
Q3:日本が集団的自衛権を行使した場合、どんな結果が待ち受けるのでしょうか。
 
 さて、では日本と集団的自衛権との関わりですが、これはさらにわかりにくい構造になっています。冷戦期にアメリカが全世界で築いた集団防衛体制の1つに、現行の日米安全保障条約があります。したがって日本もまた、紛れもなく集団防衛体制の中に組み込まれています。ところが、アメリカ中心の集団防衛体制は、NATOにせよ米韓同盟にせよ、一般に相互防衛条約の形をとっており、加盟国がすべて集団的自衛権を行使できることになっています。ところが、日米安保条約では、アメリカは日本防衛のために集団的自衛権を行使することが想定されていますが、日本側は、集団防衛体制に一般に見られるような意味では、アメリカ防衛のための集団的自衛権の行使が想定されていません。ここで注意してほしいのは、「集団防衛体制に一般に見られるような意味では」という留保です。日本では、日本国憲法第9条の関わりで、日本は集団的自衛権を保持しているが行使できないとのこれまでの政府解釈があって、およそ日本の集団的自衛権の行使は全く想定されてないかのように言われていますが、日米安保条約の条文趣旨からは、必ずしもそうとは言えないのです。
 
 日本国憲法第9条のこれまでの政府解釈および日米安保条約の条文規定からは、例えばアメリカ領のグァムが攻撃を受けたとき、自衛隊が集団的自衛権に基づいてアメリカとともに反撃する、というようなことはできません。「集団防衛体制に一般に見られるような意味では」というのは、そのような場合における集団的自衛権です。この意味で日米安保体制は、アメリカが関与している他の集団防衛体制とは異なります。そのことをとらえて、日米安保体制は、アメリカが日本を一方的に守る形になっており、「片務的」だとよく言われます。安倍首相をはじめ、日本の集団的自衛権行使を熱心に主張する人は、それによって日米安保体制をより「双務的」なものにすることができると言います。一方的に守られているだけで、いざというときに相手を助けることができないのでは、真の同盟関係は成り立たないというわけです。
 
 しかし、現行の日米安保条約はすでに50年以上存続していますが、そのようにアメリカが一方的に義務を負い、日本に恩恵を与えるだけの集団防衛体制が、これほど長期にわたって続くわけはありません。そこには独特の「双務性」があります。日米安保条約第5条は、「日本の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め・・・共通の危険に対処するように行動する」と規定しています。この条文の「日本の施政の下にある領域における」という規定によって、グァムのようなアメリカ領に対する日本の防衛支援は条約上想定外となります。ところが、「いずれか一方に対する武力攻撃」という文言は、「日本またはアメリカが攻撃を受けた場合」という意味で、このとき日本はアメリカのために「行動する(反撃する)」のですから、この条文は集団的自衛の趣旨を表現していることになります。しかし、この場合の「アメリカ」は、「日本の施政下にある領域におけるアメリカ」です。これは、具体的には、日本にある米軍あるいは米軍基地を意味します。同条約第6条によって、アメリカは日本に陸海空軍の基地を置くことができるようになっており、実際に沖縄をはじめ日本には米軍の巨大な専用基地がいくつも存在します。米軍基地は「日本の中の異国」とも言うべき存在で、一種の治外法権区域であり、日本の警察権などは及びません。そして、在日米軍基地は、湾岸戦争やイラク戦争を含め、アメリカの世界戦略の重要な拠点として利用されています。この日本の中の「アメリカ」に対する防衛義務を、日本は日米安保条約第5条で負っているのです。そういう意味でこの条約は、アメリカにとって十分に「双務的」なのです。またそのような「日本の施政下にある領域」という条件付きで、日本は「集団的自衛権」にコミットしているとも言えるのです。
 
ただし、「日本の施政下にある領域」におけるアメリカ防衛は、当然ながら日本の領土防衛そのものですから、厳密な法的意味での集団的自衛権行使には当たりません。したがって、日本の集団的自衛権行使は不可という日本国憲法第9条解釈とも法的には矛盾しません。しかし、政治的・軍事的意味においては、日米安保体制には集団的自衛権の要素が日米双方に認められるのです。これは、海外での武力行使を禁じる日本国憲法と、本質的に加盟国すべての集団的自衛権に基づいて成立する集団防衛体制を、日本・東アジアの政治的・歴史的現実に即して両立させる、一種の「トリック」とも言えます。
 
 ではなぜ、日本の集団防衛体制には、そのような「トリック」が仕掛けられるようになったのでしょうか。戦後、ソ連を中心とする社会主義陣営との対立の中で、アメリカは世界各地に集団防衛体制を築き、ソ連などを「封じ込め」ようとしました。東アジアでは、中国も共産化し、1950年には共産主義者の支配する北朝鮮が南の韓国に侵攻し朝鮮戦争が始まります。この頃日本はまだ占領下にあり、非武装の状態に置かれていました。アメリカは、日本を東アジアにおける社会主義陣営に対する防波堤とみなし、アメリカの集団防衛体制に組み込もうとします。しかし、通常の集団防衛体制の場合、相互防衛の方式をとりますから、日本を再軍備させる必要があります。しかし、まだ第2次世界大戦が終わって間もない頃であり、日本軍のかつての侵略の苦々しい記憶を持つオーストラリアやフィリピンなどから、日本の再軍備を警戒する声が上がります。これらの国は、アメリカにとり重要な同盟国・友好国ですから、アメリカも無視できません。また、日本自体、終戦以来の経済的困難からまだ抜け出しておらず、再軍備を行う財政的余裕はありませんでした。そしてなにより、平和憲法を手にした国民には、もう戦争はこりごりという気持ちが強くありました。こうした中で、独立後の日本の安全は主に米軍が担い、日本自身は平和憲法の枠内で徐々に自衛力を整備していくということになります。こうして、平和憲法・日米安保・自衛隊という、今日まで続く日本の安全保障体制が形成されたのです。
 
 現在、安倍首相が集団的自衛権行使に向けて憲法解釈の変更を熱心に推し進めようとしています。その理由は、簡単に言えば、一方で、北朝鮮の核実験やミサイル発射、中国の尖閣諸島領海侵犯など、日本周辺の安全保障環境が悪化しており、日米同盟の一層の強化が必要であるが、アメリカの国際的な力は低下しており、日本側の防衛態勢の強化が望まれる。そのための重要な方策として、集団的自衛権の行使を可能にして、海外での武力行使に道を開くべきである、というものです。
 
 こうした主張に対して適切な判断を行うためには、なぜ、日本がこれまで、通常の集団防衛体制とは異なる、日本自身の武力行使に関して特別に強い制約を課してきたのか、その理由を考えてみる必要があります。理由は大きく2つあります。1つは、日本のかつての大規模侵略戦争および長年わたる植民地支配によって、近隣のアジア諸国を中心に、日本の再軍備や海外での武力行使に対して、国際的に強い不信と不安の念がもたれていたということです。もう1つは、広島・長崎の被爆体験に代表される日本国民の戦争体験から、戦争は非合理であり罪であるという、強い反戦感情が国民の間で共有されてきたからです。
 
 前者の日本の戦争・植民地支配責任に関しては、日本がこれらについて誠実に反省をし、戦後の平和的な歩みの中で周辺諸国の信頼をかちえており、日本が海外で再び戦争をするようになっても、それなりに正当な理由があればかまわない、という国際世論が形成されているのであれば、特に問題はないかもしれません。しかし実際には、第2次安倍政権の発足以来、かつてないほどに日韓、日中の関係は冷え込んでおり、その主たる理由は、従軍慰安婦問題や安倍首相の靖国参拝問題に見られるように、過去の日本の戦争・植民地支配を日本はどう認識しているのかが重大な外交問題になっていることにあります。戦後69年たってもなお、日本は周辺諸国の信頼を得るにはほど遠い状況にあるのが現実です。特に、韓国は、アメリカにとり日本と並んで東アジアで最も重要な同盟国であり、日本が集団的自衛権を行使するに当たって、アメリカとともに重要な協力相手となる国ですが、日韓関係改善の目処が立たないまま、集団的自衛権行使容認を急ごうとする安倍首相の政治姿勢は、対外政策上の整合性を欠いていると言わざるをえません。
 
 もう1つ、日本の自制的防衛体制を支えてきた国民の反戦感情ですが、これは変化してきているのかもしれません。若い世代を中心に、女性も含めて、国際的脅威に対する安全保障上の備え、軍備の強化を求める声は強まっているようです。しかし、なお9条戦争放棄へのこだわりを持つ人々も少なくないように見えます。集団的自衛権行使容認につき、安倍首相は、平和のため、国民を守るため、戦争を避けるためと主張していますが、集団的自衛権の行使によって、これまで憲法によって封印してきた海外での武力行使は解禁となり、日本が戦争に参加する機会は確実に増えます。しかし、戦後長い間、日本国民の多くは、そのように戦争に備え、必要があれば戦争を行うことで「国民を守る」という考え方に懐疑的でした。なぜなら、かつて日本が経験した戦争では、直接戦場となった周辺諸国の人々に多くの苦しみを与えただけでなく、銃後(本来の戦場から遠く離れた場所)にあった日本国民自身―安倍首相が集団的自衛権行使で守られると強調する「お母さん、おじいさん、おばあさん、子どもたち」も、広島・長崎の経験が明白に示すように、全く守られることはなかったからです。日本の安保政策の大きな転換につき、あやまりのない判断を下すためにも、日本の戦争の歴史を正確に学んでおくことはとても重要です。
 
 しかしなお、集団的自衛権行使容認ということになった場合、どうなるのでしょう。これは海外での武力行使に道を開くものですから、そのための法整備、教育・訓練・装備が手当てされ、海外で実際に戦争を遂行できる能力を身につけるための施策が着実に進められていくことでしょう。では、そのようにして日本の戦争能力が向上し、日米同盟が強化されたとして、北朝鮮や中国の脅威は小さくなって、日本国民の安心感は増すでしょうか。
 
敵対する国どうしの一方が、軍事力を強化して他方に対抗しようとするときは、相手方も同じような措置をとって軍拡競争がはじまります。そして、双方ともに安全感はむしろ損なわれていき、最終的には戦争によってしか決着がつかなくなる、というのが国際政治の歴史に繰り返し現れるパターンです。日本の軍事力強化に対しては、中国などはそれをしのぐ軍事態勢の強化に乗り出すことでしょう。軍拡競争の中で軍事優先の政治が行われるようになると、国民の愛国心、国防意識を強化する施策が推し進められ、学校教育だけでなく一般の言論・文化活動でも、そうした方向への統制が強められていくでしょう。秘密保持のための報道統制も当然厳しくなります。これは、軍国日本の「いつか来た道」に連なるものです。
 
 安保論議では、「国民を守る」ということが強調されます。しかし、かごに閉じ込められている鳥を「守られている」とは言いません。鳥は自由に羽ばたき、生存のリスクを負いつつ、生存を確保する術(すべ)を身につけていきます。身を守るとは、どう生きるかということと別ではありません。20世紀に、大津波のような戦争を経験した、そして21世紀も、引き続き同じような経験をしつつある人類にとり、国防、戦争という問題は、人の生き方、国の生き方の根本を問うものです。何のために、どのように生きるのかと。集団的自衛権容認という問題をつきつめていくと、問われているのは、日本の生き方、日本人の生き方そのものである、といえます。
 
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いかがでしたか?
藤原先生はかなり苦労して、文章を短くしてくれました。これでも「はじめの一歩」とのことです。

読んでみて質問がある人、興味を持った人は、直接藤原先生を訪ねてくださいね。

ではまた次回!